日々思う事

花粉症との闘い:宮沢賢治 雨ニモ負ケズ

人類の歴史は花粉症との戦いです。

嘘です。そんなことはありません。
が、わたしの歴史には花粉症との戦いがありました

花粉症だと自覚したのは高校3年の春
その後は花見というものが、常に地獄でした。
(花粉症の方はわかってもらえるかと思います)

スギとイネ(軽度)の花粉症であったようです。


薬の素晴らしさに気付いたのは、大学2年生のときです。
医学生だったのにという人類の叡智の結晶を過小評価していたのです。

一番初めに内服したのは
コンタック(グラクソ・スミスクライン)です

衝撃を受けました。鼻水ずるずるしながらポケットティッシュを常に持ち歩いていた自分がいなくなったのです。かわりにコンタックンを持ち歩くようになりました。
あの小憎らしいコンタックンが大好きになりました。
当時の私にとって神でした。髪ではありません。

しかし、1日2回の内服では収まらず、鼻炎スプレーを追加しても花粉に勝てない体になってしまったため、泣く泣く薬を変更しました

2番目に内服したのは
アレジオン(青:エスエス製薬)とアレグラ(紫:久光製薬)です。

アレジオンは私はちょっとだけ眠くなることがありました(体感です)。
アレグラ人が眠くなりにくいって言ってたので紫のアレグラをよく買ってた気がします。

3番目は数年前からの変更ですが、

ビラノアです。これは花粉症の先輩(といっても耳鼻科医ではありません)がビラノア朝1か寝る前に内服するとほぼ完ぺきだよと言われて変えました
(まったくエビデンスありません)。
病院で処方してもらいながら内服していました。ちょうどコロナでマスク必須になっていたというのも重なり、全く花粉を感じない数年間となりました。副作用とか、ちょっとぼーっとするとかも全くなかったためそのまま使用しています。

※ 
大学生の時、薬ってやっぱり高いなぁって思ってました。今ももちろん思っています。
今花粉症の薬は、病院で処方してもらっても、市販薬を買っても、払うお金はあまり変わらないレベルまで来ています。
市販薬の方が圧倒的に安ければ、病院でわざわざ処方してもらわなくなるはずです。
これは企業努力でなんとかなりますか? 頑張れ製薬会社!!!!

(元:宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」 改変:徒然2007.9)

稲ニモマケズ
杉ニモマケズ
鼻詰リニモ 眼ノ痒ミニモ マケヌ
丈夫ナ 体ヲ 持チ

脱感作ハ キカズ
決シテ 治ラズ
イツモ シズカニ 耐エテイル

一日ニ 鼻炎薬 4個ト
点鼻薬ト 少シノ 目薬ヲ 使イ
アラユルコトヲ
花粉ヲ 勘定ニ イレ
ヨク 見聞キシ ワカリ
ソシテ 耐エラレズ

◆◆ノ ◆◆ノ 酒屋ノ 前ノ
小サナ 掃キ溜メ小屋ニテ イテ

東ニ 治療薬ノ情報 アレバ 行ッテ 治験ヲシテヤリ
西ニ 花粉ノ情報 アレバ 行ッテ ソノ稲ノ花粉ヲ 負イ
南ニ 死ニソウナ人 アレバ 行ッテ 1型アレルギーデスヨ オ嬢サント イイ
北ニ 喧嘩ヤ 訴訟ガ アレバ 花粉症ノ辛サニハ カナワナイト イイ 

花粉ノ多イ日ハ 涙ヲ 流シ
風ノ強イ日ハ オロオロ 外出シ

ミンナニ 現代人乙wト ヨバレ
同情モ サレズ
苦ニモ サレズ

ソウイウモノニ
私ハ ナリタイ

(2007年3月 作)
※ いまは減感作というようですね。